1990年代後半から2001年にかけて活躍した、ビジュアル系バンドや美しいバンドの偉業や歴史などを時系列順にまとめました。
1996~97年
まずは、96年97年のこと。
JUDY AND MARY「そばかす」ミリオンセラー
1996年2月19日リリース
105.8万枚
フジテレビ系のアニメ、るろうに剣心の初代のオープニングテーマとして使われた。
JUDY AND MARY がオリコンで1位を獲得したのはこの1曲のみ。
そういう意味でも、伝説の 1曲と言える。
この曲が作られた裏エピソードとして、急遽アニメのタイアップが決まったから三日間で曲を作れと言われたそうで、どんなアニメかも聞かされていなかったそう。
それで、メンバー全員が知っていたアニメはキャンディキャンディだったため、そのイメージで制作。
その結果タイアップに決まったのが、江戸時代の幕末を舞台にした人斬り抜刀斎の話って、ギャップありすぎでしょ笑
X JAPAN「Forever Love」リリース
1996年7月8日リリース
57万枚
オリコンチャートで週間1位を記録した1曲。
X JAPAN が1位を獲得したのはこの曲で4曲めだそう。
X と言うCLAMPが原作の映画のテーマ曲としても使われた。
まさにかれらにぴったりのタイトルw
また、2001年には当時の総理大臣だった小泉純一郎さんが、自由民主党の CM ソングにフォーエバーラブを使ったことで、さらに知名度がアップ。
当時全然政治のことなんて僕は分からなかったけど、小泉首相が X JAPAN の話をするから、それがきっかけで、妙に小泉さんのことを好きになった思い出がある。
L'Arc~en~Cielからsakuraが脱退
1997年2月24日
その当時、ラルクアンシエルのメンバーだったsakuraが、諸事情によりバンドを脱退。
ラルクアンシエルは活動を休止した。
その活動休止期間中に東京ドームでの復活ライブの構想が持ち上がり、12月23日クリスマスイブの1日前に「L'Arc〜en〜Ciel 1997 REINCARNATION」を開催。
東京ドームの愛称であるビッグエッグにちなんで、大きな卵から僕らはもう一度生まれた、みたいなコンセプトで活動を再開したそう。
そしてなんと、ライブのチケットは発売開始からわずか4分で完売するという偉業を達成。
当時の売上最速記録を樹立した。
ラルクのリーダー曰く、ラルクはもう駄目になったとか思われたくないから、絶対に良くなったって思わせたかったという旨の発言をしている。
河村隆一『Glass』ミリオンセラー
1997年4月23日
101.1万枚
河村隆一さんの2枚目のシングルがミリオンセラーを達成。
河村隆一さんは、 LUNA SEA としても当時活動していたけど、バンドでもソロでもミリオンセラーを達成した曲はこの1曲のみ。
LUNA SEA としての活動もしながら同時進行でこれだけ大ヒットするって、ソロ活動をするバンドメンバーとしてはすごく珍しいことだと思う。
ビートたけしのテレビタックルのエンディングテーマでもあり、それきっかけでこの曲を知った人もいると思う。
SOPHIA『街』リリース
1997年7月9日
33.2万枚
PlayStation ソフト、ブレスオブファイア III の CM ソングに使われていた。
正直僕は、その当時ロックバンドのソフィアのことはあまりわかっていなくて、でもあとから彼らの歴史を辿っていくと、すごく力強い、いい曲ばかりで、どんどん興味を持って行った。
ボーカルの松岡充さんはその後、2002年に人にやさしくというドラマで香取慎吾さんとも共演するし、最初は知らなかったけどどんどん魅力的に感じていたな。
SHAZNA「Melty Love」でメジャーデビュー
1997年8月27日
88万枚
SHAZNA のデビュー曲は初登場で5位を獲得し、その後少しずつ順位を伸ばし最高記録はオリコン2位。
デビュー曲でこんなにヒットするっていうのは、やっぱりすごいなと思う。
インディーズ時代から歌われている曲で、アルバムに収録されると毎回リメイクをしている曲でもある。
次にリリースされた曲「すみれ September Love」も70万枚近いヒットを記録していて、改めて当時の SHAZNAってすごい人気だったんだなあと実感する。
ボーカルの IZAM さんは、1999年の2月に 吉川ひなのさんと結婚され、その後2006年の11月には吉岡美穂さんと再婚をされたり、すごいモテる男性だなというイメージがある。
SIAM SHADE「1/3の純情な感情」リリース
1997年11月27日
69.9万枚
るろうに剣心の主題歌の1曲。
この曲をきっかけに、ミュージックステーションやヘイヘイヘイミュージックチャンプに初めて出演した。
初登場はオリコン7位だったにも関わらず、リリースから2ヶ月経ってオリコンチャート3位まで浮上。
るろうに剣心効果もあってか、ロングヒットを記録した曲でもある。
1/3って言うのがすごい当時印象に残った曲だった。
X JAPAN、解散ライブ
1997年12月31日
東京ドーム
1997年の4月、考え方の違いを理由にボーカルの ToshI が脱退することに。
そのまま9月に記者会見を開き、 X JAPAN の解散が発表された。
ちゃんとファンに対してけじめをつけないとということで、大晦日に東京ドームでラストライブ『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』を行った。
そしてそれが終わった後、 紅白歌合戦のステージに出て、一旦 X JAPAN は幕引きとなった。
その後 X Japan は復活する訳だけど、この当時はもう完全に X は活動しないんだろうなーと思っていたな。
1998~99年
続いて、98年99年の出来事。
PENICILLIN「ロマンス」リリース
1998/01/15
90万枚
オリコンは最高で4位、累計90万枚のヒットは、ペニシリンの中で最高記録の曲。
すごいよマサルさん、というアニメのオープニングテーマでもあり、僕はそのアニメをきっかけにこの曲を知ることになった。
また v6がやっていた学校へ行こうの東京ラブストーリーというコーナーで、ナルシストキャラの東大生マサーシーがこの曲を好んで使ったことで、僕の中ではイメージが定着した笑
GLAY「誘惑」年間シングル売上1位
1998年4月29日
162万枚
TDK「ミニディスク XAシリーズ」CMソング。
「SOUL LOVE」との同時発売で、2週連続で1位・2位を独占。
その後、2枚同時リリースとか3枚同時リリースとかがビジュアル系バンドのちょっとしたブームになるんだけど、その先駆けともいえる同時リリースだったと思う。
1998年度の一番売れたシングルはこの曲。
別の媒体では 、SMAP の夜空ノムコウが1位としているものもあるけど、それにしても SMAP の夜空ノムコウとほぼ同じぐらいヒットするって、めちゃめちゃすごいブームを作っていたよな。
X JAPAN、hide死去
1998年5月2日
葬儀に5万人
X JAPAN の hide さんは、その前日にフジテレビの音楽番組の収録をしていた。
しかし翌日に、彼の自宅のマンションのドアノブに掛けたタオルを使い、帰らぬ人に。
その当時、X JAPAN のことをそこまで知らなかった僕も、そのニュースの大きさに彼の存在を知ることになった。
本願寺にファンが集まり、なんとその数は5万人にもなったそう。
改めて X JAPAN は、大きな時代を作ったバンドなんだとこんな形で思い知らされることになった。
X JAPAN は、良くも悪くも武勇伝が多いけど、こういう悲しい武勇伝は極力少なくあってほしいなと個人的には思います。
LUNA SEA「I for You」リリース
1998年7月1日
48.2万枚
この曲は次のシングルの制作中に X JAPAN の hide さんが亡くなった為、SUGIZO さんと河村隆一さんが話し合い、 hideさんへのメッセージソングとして作ったと語られている。
当時はこの曲のことをそこまで深く考えていなかったけど、時系列順で見てみるとなるほどあの事件から2ヵ月後にこの伝説の曲がリリースされたんだなと思って、感慨深い気持ちになる。
フジテレビ系ドラマ、神様もう少しだけ、の主題歌にも使われていた。
深田恭子さんと金城武さんが主演のドラマで、毎週観ていたな。
L'Arc~en~Ciel「HONEY」「花葬」「浸食」ベスト3独占
1998年7月8日
「HONEY」123.8万枚
「花葬」104.9万枚
「浸食 〜lose control〜」93.8万枚
ラルクアンシエルが3枚同時にシングルをリリースし3枚ともがオリコンベスト3に入るという偉業を達成した。
そして3枚のうち、2枚がミリオンヒット、1枚も93万枚とほぼミリオンヒットと言っていい記録を樹立。
改めて、当時のラルクアンシエルの影響力の大きさがうかがえる。
当初は3枚同時にリリースする予定はなかったけれど、侵食という曲が映画の劇中歌に使われることが急遽決まり、慌ててシングル化されることになったそう。
意図して3枚連続にする予定じゃなかったというのが、なんとも不思議な運命。
ちなみにその後10月には「snow drop」「forbidden lover」も2週連続で発売し、1位と2位を独占した。
当時のラルクアンシエルがいかにヒットメーカーだったかが伺える。
MALICE MIZERからGackt脱退
1999年1月
独自のビジュアル系路線を貫いていた MALICE MIZER から、考え方の違いによりボーカルの Gacktさんが脱退することに。
さらに、バンドのドラマーが病気によりお亡くなりになった。
5人体制だったのが急に3人体制になるという、なんともショッキングな期間だったと思う。
その当時のことを GACKT さんが、そっちの方向に行っちゃだめだと必死に説得したけどどうにもならなかったと、悲しそうに語っていたことを思い出す。
DIR EN GREY、シングル3枚同時リリースでメジャーデビュー
1999年1月20日
「アクロの丘」13.2万枚
「残-ZAN-」14.4万枚
「ゆらめき」18.0万枚
DIR EN GREYのデビューシングルは3枚同時リリース。
詳しい事情は知らないけれど、きっと GLAY の2枚同時リリースやラルクアンシエルの3枚同時リリースが影響して、そういう売り出し方も面白いってプロデューサーさんが判断したんじゃなかろうかと、僕は勝手に思っています。
これらの曲は、カウントダウン TV のエンディングテーマや、浜田雅功さん主演のバラエティー、人気者でいこう、アニメ日本一の男の魂のオープニングテーマで使われたりなど、ちゃんとタイアップもつけられていたのがすごいなと思う。
GLAY「Winter,again」ミリオンセラー
1999年2月3日
165万枚
発売初週から、驚異の売り上げを記録。
その伸び率は、ミスチルの名もなき詩に次ぐ当時2位の記録だった。
曲のイントロが、なんとも切ない冬の寂しさを感じるイントロなんだけど、それはこの年の2年前に公開された大ヒット映画、タイタニックの主題歌をイメージしてイントロを作ったそう。
言われてみれば、なんとなくイントロの雰囲気似てるな。
TAKUROさんが当時の恋人に対し、生まれ故郷の北海道の景色を見せたいとの思いから、いつかふたりで行きたいね雪が積もる頃に、という歌詞を書いたそう。
GLAY、1日でライブ動員20万人
1999年5月31日
幕張メッセ特設ステージ
幕張メッセ特設ステージで『GLAY EXPO '99 SURVIVAL』を開催。
ひとつの公演で20万人を動員した。
これは日本国内の最大記録だそう。
これだけの人数がいて、本当に後ろの方まで聞こえるのかと疑問に思うくらい、ものすごい大きい規模だよな。
当時のこの映像を見てみると、人の海ってこんな感じなんだなと圧倒される。
ちなみに彼らはこの活動を受けて、地元の函館から函館市栄誉賞をもらったんだそう。
そんな大記録を達成しているにも関わらず、このころ解散危機だったそうで、なんとか解散は免れたものの、このぐらいの頃からビジュアル系バンドの解散ラッシュが、哀しいことに続いて行っちゃうんだよな。
L'Arc~en~Ciel、2日でライブ動員25万人
1999年8月21日・22日
東京国際展示場 駐車場特設ステージ
GLAYの20万人ライブから約3ヶ月後、今度はラルクアンシエルが「1999 GRAND CROSS TOUR」東京国際展示場 駐車場特設ステージで、1日125000人、2日で25万人という大記録を達成。
トータルの動員数で言えば、ラルクの方が多く動員するという、もう本当に時代を作った2組のロックバンドだなぁと思う。
さらにこの二日間だけではなく、全国6都市でツアーを開催。
この時はスタジアムなどを使わず、各場所に特設ステージを設置すると言う大胆な試みをして、12公演でなんと65万人も動員すると言う、ラルクアンシエルの中で一番大きな規模のツアーとなったそう。
ラルクアンシエルの hyde さんが一番記憶に残っているコンサートは、この時のライブツアーだそう。
こんな大規模な中で、一人のボーカリストが歌うって、どういう感覚なんだろうって想像することさえできないな。
聖飢魔II、解散
1999年12月31日
地球征服完了
彼らがデビューしたとき、1999年の7月に解散するという宣言をしていたけど、マネージャーが予定を間違えて入れてしまったため、12月31日となったとのこと。
独特な理由笑
そして12月31日の大晦日に、地球征服を完了したとのことで解散し、光の中に消えていきましたとさ。
他のバンドは解散しないでほしい.、解散は悲しいって思うけど、彼らに関してはもうそういうふうに決まっていたから仕方ないのかなって、諦めの気持ちが個人的には強いです。
後、デーモン小暮さんのキャラクターが僕は好き。
2000~01年
最後に、2000年2001年のこと。
LUNA SEA、解散ライブ
2000年12月26日, 27日
東京ドーム2デイズ
2000年の11月8日に14枚目のシングルをリリースした際、 LUNA SEA が活動休止をする旨を発表。
そこからわずか1カ月半後には解散ライブを行うことに。
12月23日にはベストアルバムをリリースし、20世紀最後のオリコン1位を獲得。
そして12月26日からの二日間、東京ドームにてファイナルコンサート『LUNA SEA THE FINAL ACT TOKYO DOME』を開催。
メンバーの SUGIZO さん曰く、ぶっちゃけメンバーみんながみんなの顔を見たくなくなったとのこと。
本当にこの頃はバンドの解散ラッシュが相次いでいて、数人の大人たちが同じ活動を続けていくってどれほど難しいことなのか考えさせられるなぁ。
JUDY AND MARY、解散ライブ
2001年3月7日、8日
東京ドーム2デイズ
LUNA SEA の活動停止から約3ヶ月後、 JUDY AND MARY も解散をすることに。
メンバーの恩田さんは、このまま活動を続けて行くことはできないから、自分が抜けて新しいベーシストを入れて、3人で活動してほしいという旨を伝えたそう。
しかし報告を受けて、メンバーは解散の道を選んだとのこと。
そして東京ドームでの二日間のライブを持って彼らは解散した。
なんで90年代には空前のバンドブームが起こり、なぜ2000年前後にこんなにも皆が揃って解散することになるのか不思議な現象だったな。
LUNA SEA やシャムシェイドや聖飢魔IIなどは、その後活動再開をしているけど、 JUDY AND MARY だけはずっと解散したまま復活ってしないんだよな
GACKT「ANOTHER WORLD」リリース
2001年9月5日
28.5万枚
資生堂「neue(ノイエ)MEN'S」CMソング。
GACKT さんの代表曲の一つであり、一番売れたシングル曲でもある。
この曲がリリースされる頃に、 MOON CHILD という GACKT さんとHydeさんが主演の映画が公開される。
この曲の PV は、その映画の世界観を受け継いだものとなっている。
この歌で GACKT さんは紅白歌合戦に初めて出演を果たす。
MALICE MIZER を脱退してからも、こうして大きな活躍をするってすごいことだなと思う。
この頃堂本兄弟で KinKi Kids と共演したりとか、 HEY HEY HEY MUSIC CHAMP やミュージックステーションなどで面白キャラを発揮していて、僕は MALICE MIZER 時代よりもこの頃の Gackt さんの方が印象に残っていて好きだな
HYDE、「evergreen」でソロ活動開始
2001年10月17日
33.1万枚
その当時、ユニクロの CM ソングとして、 hyde さんのファーストシングルが起用された。
hyde さんは、ソロ活動を始めた理由が、自分一人で音楽を作ってみたいという欲求が出てきたからと語っている。
ラルクは激しいロックが多いのに対し、ソロ活動は静かなものにしたいと考えていたそうで、たまたま楽曲制作中に友人がお亡くなりになり、その友人に宛てられた切ないバラードとなっている。
当時僕はこの曲をよく聴いていて、あんなに激しいロックバンドのボーカリストがこんなに静かでそれでいて、色気のあるしっとりした曲を作るんだなぁと思って、ギャップが魅力的だなと思っていた。
ちなみにこの頃からラルクアンシエルは活動を休止していて、 hyde さんもバンド脱退したいとメンバーに伝えていたそうで、やはり他のロックバンドと同様ラルクアンシエルも解散の危機があったんだな。
コメントフォーム